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「Le Fils 息子」 東京芸術劇場 [舞台]


ネタバレ注意報


 引き返すなら今ですよ!



 初演のときよりも洗練され、より濃縮された作品になっていた。
白い壁が移動していく装置。窓がついていたり、鏡になっていたり、四角くくり抜かれて扉の役割をしたり。
 そこに人物のシルエットが映り、叙情詩のようなうつくしいシーンが過ぎていく。

 ニコラは母アンヌと暮らしている。父は再婚し、ソフィアとのあいだにまだ赤子の息子がいる。
 繊細なニコラは両親の離婚により不安定になり、学校へも行けずにいた。だが彼は父のところへ行きたいと願い出る。新しい暮らしは平穏に行くはずもなく、ニコラもソフィアも理性で持ち堪えていたが、時折、感情が漏れ出てしまう。
 やがて・・・。

 ともかく、やるせない。ニコラにとってどうあればよかったのか。父と母の愛から産まれた息子は、大人になることなく闇へと帰って行った。彼の人生はなんだったのだろう。
 それぞれが幸せを求めても、それは自然なことだし、けれども子供と大人は対等ではなく、繊細な子だった場合は傷つき、そこから抜け出せないこともあるだろう。

 ニコラが退院したひとときはとても穏やかで、楽しげな両親を見て、ニコラは昔にかえったようだと喜ぶ。そこが頂点であるかのように。

 ラストシーンは初演に少し変更があったようだが、ピエールの息子にこうあって欲しいという望みが叶ったかのような笑い声と、それから・・・。

        *

 個々の役者さんについて述べる言葉はない。全員がエクセレントすぎて、なにも言えない。
 スタンディングオベーションだったのは言わずもがな。

 素敵な作品をありがとうございました!!!


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「La Mère 母」 東京芸術劇場 [舞台]

公式サイト
https://www.lefils-lamere.jp/

地方公演情報は
https://www.lefils-lamere.jp/tour

    ****
ネタバレ注意報

 引き返すなら今ですよ!



 子供たちが大人になって巣立っていくのは当たり前のこと。けれど残された母親は浮気しているかもしれない夫と暮らすことに淋しさを感じていた。昼間は大きな家にひとり取り残される侘しさ。
 そんなところから物語ははじまる。
 繰り返される同じ台詞。舞台上で何が起こっているのか不可解になる。黒い衣装の母アンヌは息子ニコラからの連絡が来ない、と待ち続けている。仕事で忙しい父ピエール。
 そして物語は進んだり戻ったりしながら少しずつ違う話をリフレインしはじめる。その手法によって、目の前のこの家族の話だったものがすべての人の物語へと拡大されていく。
 どこかの男、どこかの女、どこかの父親、どこかの母親、そしてどこかの娘やどこかの息子の話へと観客には感じられるようになる。そう、みずからの話としてだ。
 脚本なのか、演出なのかはわからないが、とても斬新な作品となった。
 赤いドレスを纏ったあたりからアンヌの本音が容赦のないものとなっていく。子供たちを育てて気がついたら若さを失っていたことへの思い、ニコラには妹サラがいるのだが、アンヌはニコラだけを溺愛し、妹のことはどうでもいいという認識。夫のことも死んでしまえばいいのに、と言い、ひどい態度を取り出す。
 果たしてニコラはエロディと喧嘩して実家へ帰ってきたのか? それは現実なのか、それともこれはすべてアンヌの創り出した妄想の世界の出来事なのか?
 アンヌはニコラをみずからの恋人のように扱い出す。取り合わないニコラ。
 ラストへと疾走していく狂気は病院での衝撃的なラストへと繋がっていく。もはや現実は狂気へと道を譲った感がある。果たして現実は何処までだったのか。簡単に拾い集められるだけの現実と圧倒的なアンヌの妄想と狂気で紡がれた物語なのか。
 他にはない独特な作品を体験したと思った。

        *
若村麻由美さん
 美しく魅力的なアンヌ。そんなシーンはないのに、若い日に子供たちを愛情いっぱいに
育てる姿が浮かんでくるようだった。そして今、子供たちが巣立った後の空虚感、彼女の生きていた世界が閉じられてしまったかのような焦燥感にあらがうように辛辣になっていくアンヌを演じてくれた。現実と狂気の世界を自在に行き来できる演技力は素晴らしい。

岡本健一さん
 ピエールは実際、浮気していたのか? 証拠は少ない。でもアンヌの中では確信なのだ。
とうとう隠すことなく彼はバカンスに行く格好で登場。若い愛人までが出現してしまう。

 そう、アンヌの妄想の世界では。

 現実はアンヌが赤いドレスに着替える前までの気がする。ということは?
 少しずつ違うシチュエーションのポールを巧みに演じていた。

伊勢佳世さん
 アンヌとの対峙がヒートアップしていく演じ分けがいい。ニコラの恋人として、家族ではない外の存在としてのエロディの演技が光る。愛する息子を奪い去る者としてのエロディ。そしておそらく、女としての定められた道筋を彼女も通るだろうと予感させる。

岡本圭人さん
 硬質で適格な演技。ニコラとしてのしっかりとした存在感。その時々に纏う空気感がいい。
 母が自分の人生を妨害することにたいして困惑し、行き着く先は・・・。アンヌが狂気のなかでそう望んだのか、ニコラが決意するしかなかったのか。
 ニコラは現実としてアンヌの前にいたのか? 終始、母の妄想の登場人物だったのか。そんなことを思う。


 演出の切っ先の鋭さ、独特さ。そしてそれを実現するために現実の世界から跳躍した役者たち。
 なんだか凄いものを観てしまった。でも観客もいつものように物語が進むと思っていると頭のなかが「?」だらけになるので注意が必要だ。観客も一緒にアンヌの内面の世界に飛び込む気概がいる。そんな特異な作品だった。


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「夜は昼の母」 シアター風姿花伝 [舞台]

「夜は昼の母」
シアター風姿花伝
出演 岡本健一 那須佐代子 堅山隼太 山崎一

 千秋楽も終わってしまいましたが、記憶のために書いておきます。


家族というもの、距離が近いが故に甘えも憎しみも共有する。そして反発も妥協も許しもする。
殺してしまいたいほどの欲求も、照明を暗転して変えることで、同じ舞台上に現出させてしまう。周りの人の動きを止めて、本人の素直な願望を描き出す。演出の妙!現実との切り替えが素晴らしかったです。

16歳の少年ダヴィット役の岡本さんは実際には54歳であることを忘れさせてくれた。仕草、言動、兄イェオリへの不満。現実に踏み出すことができない胸のもやもやを表現する。
兄弟らしいたがいへの批判。兄は家族で経営する寂れたホテルの手伝いを積極的に行い、弟は学校にも行かず、ホテルの手伝いもたまに皿洗いをする程度。

ダヴィットの懸念はまた父のアルコール中毒が再燃しそうなこと。妻に内緒で酒瓶を隠しながら飲んでいる。
前回は妄想までが出てきて、それにおとなしく付き合うダヴィットだったし、父が入院したのを見舞ったのは母と自分だった。
やはり軸となる家族の問題は父親のアルコール中毒で、その次がダヴィットの登校拒否と働かないこと。
兄イェオリのまともさが際立つ。その分、弟のふがいなさに苛立つのだろう。堅山さんの確かな人物造形。

2幕の最初でエーリン役の那須さんが夫のマッティン役の山崎さんを見つめるまなざしが凄かった。シニカルで冷えた視線は断ち切りたいのに断ち切れない葛藤すら越えたところにある感情を描き出していた。

父役の山崎さんは妻を愛していて、また必要としていて、別れると言う彼女を手放すことに抵抗を剥き出しにする。膝に甘えてみたり、でも隠していたアルコールを夢中で飲んだり、暴れたり、その様子をダヴィットが物影から見ている。
山崎さん、アル中の大暴れは圧巻。

男たちが心配しているのは母エーリンの咳と肩の痛み。または母が父と別れてこのホテルを出て行くこと。

母の注意を引こうとダヴィットはキッチンの壁のへこみに大の字に張り付いてみたり、アクロバティックなことをしながら母に「見て」と言うのだが、エーリンは心ここにあらずで視線を向けることすらしない。
岡本さんの手振りを交えた具体的で自在な演技力。少年らしさが光る。

「終わりよければすべてよし」 新国立劇場 [舞台]

新国立劇場公式
https://www.nntt.jac.go.jp/play/shakespeare-dark-comedy/


    【作】ウィリアム・シェイクスピア
    【翻訳】小田島雄志
    【演出】鵜山 仁
    【美術】乘峯雅寛
    【照明】服部 基
    【音響】上田好生
    【衣裳】前田文子
    【ヘアメイク】馮 啓孝
    【演出助手】中嶋彩乃
    【舞台監督】北条 孝



演出 鵜山仁

キャスト

    岡本健一
    浦井健治
    中嶋朋子
    ソニン

    立川三貴
    吉村 直
    木下浩之
    那須佐代子
    勝部演之

    小長谷勝彦
    下総源太朗
    藤木久美子
    川辺邦弘
    亀田佳明

    永田江里
    内藤裕志
    須藤瑞己
    福士永大
    宮津侑生



 バートラムは伯爵家の立派な若様だと見えていたのですが、段々とメッキが剥がれていき、処女のダイアナを口説くわ、王に嘘はつくわ、人を見る目もなく、散々な男であることが露呈してしまう。浦井さんがこんな役をやれるようになるなんて!
 なにしろヘレナが亡くなったと信じているラフューが自分の娘とバートラムを結婚させようとしていたのに、悪行が露見して行くにつれて態度が変化していき、ついには自分の娘にはふさわしくないと言い出す。笑わせていただきました。

 那須さんの伯爵夫人が秀逸だった。ヘレナを預かり育て、自分の娘とも呼ぶ。道化との下世話な会話もこなし、それでいて凜とした伯爵夫人の佇まい。

 ソニンさんの初初しい演技も素晴らしかった。母親のいうことをきく娘でありながら、それだけではない。きちんと王のまえで申し開きをする胆力もあるのだから。
 この物語では指輪が大事な役割を果たすのだが、その真実が暴かれていくところが面白かった。

 やはりヘレナ役の中嶋朋子さんが魅力的で、知恵もあり、人としても素晴らしい彼女を具現させていた。
 白い布を吊してある舞台装置と、その前にいるヘレナの白いドレスのドレープが美しくてため息が出そうだった。衣装さん、素敵でした。
 ラフューが辞退するほどの屑のバートラムを一途に思うヘレナの愛は大きく深く、でも観客からしたら、やめておいた方がいいのに、と思わずにはいられなかった。

 王役の岡本健一さんは瀕死の状態、回復してからの若々しさ、ヘレナの死を知ってから、そして自分がヘレナに与えた赤い石の指輪をバートラムが持っていたことで、彼がヘレナを殺害したのではないかとさえ疑う。その様々な状態の同一人物を安定した演技力で演じ分けていた。
 本当のことを言うと、王を演じている岡本健一さんは舞台上にはおらず、ただ王様がいて、お目当ての方がいないのをラストあたりで気づいて、「あれ、いない」と焦ったのでした。

 ラストで王は王冠をはずして、いち役者へと戻る。一瞬、わたしにはシェイクスピアの時代の役者さんたちがそこに並んでいるように見えました。


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「尺には尺を」新国立劇場 [舞台]




  • 【作】ウィリアム・シェイクスピア
  • 【翻訳】小田島雄志
  • 【演出】鵜山 仁
  • 【美術】乘峯雅寛
  • 【照明】服部 基
  • 【音響】上田好生
  • 【衣裳】前田文子
  • 【ヘアメイク】馮 啓孝
  • 【演出助手】中嶋彩乃
  • 【舞台監督】北条 孝


演出 鵜山仁

キャスト

  • 岡本健一
  • 浦井健治
  • 中嶋朋子
  • ソニン
  • 立川三貴
  • 吉村 直
  • 木下浩之
  • 那須佐代子
  • 勝部演之
  • 小長谷勝彦
  • 下総源太朗
  • 藤木久美子
  • 川辺邦弘
  • 亀田佳明
  • 永田江里
  • 内藤裕志
  • 須藤瑞己
  • 福士永大
  • 宮津侑生



 舞台には木の長椅子が二つと左右にはゴミが集められている場所がある。手前には水をたたえた池がふたつ見える。奥には赤黒く大きな平面の建物があり、窓と扉が開くようになっている。
 アンジェロという男があまりに真面目で法を遵守しようとするために、優秀ではあるが存在自体が孤立していることが浮き上がってきた。一瞬にして彼の仲間内での彼の立ち位置や人柄などが入ってきた。これは演技力なのだろうか。
 同じ裁く立場の人々や個性豊かな市井の人々は杓子定規に生活しているわけではなく、ある程度は清濁併せ飲んでいるようだが、アンジェロには許しがない。大目に見るということを知らないらしい。
 だがアンジェロがイザベラに魅了され、その操を奪おうとした後、ゴミの集まった場所で蹲る。厳格で四角四面の彼が正しい道から逸れて、汚れに墜ちた表現の演出は素晴らしい。
 なにせイザベラは修道女見習いであり、その清純さ、神聖さ、それでいて物怖じせずに自分の意見を言う女性なのだ。

 登場人物の女郎屋はじめ、すべての人々が個性的で、台詞もシェイクスピア独特の難しいもので、もはやすべての人が主役のような働きをされていると思った。

 ベッドトリックの直接的な場面は原作には描かれていないが、恐らくはアンジェロの家で神父に化けた公爵とイザベラ、マリアナが扉を通っていくとそこにベッドが置いてある。これもスマートな演出。
 公爵はイザベラの兄が死刑を免れたことを告げず、アンジェロがマリアナと一夜を共にしたことがばれた後、公爵は二人に結婚式を挙げるように促す。そして戻ってきたふたりにアンジェロの死刑を宣告する。
 助命を求めるマリアナ。一緒に嘆願して欲しいと頼まれたイザベラは迷うが一緒になってアンジェロの命を救って欲しいと公爵に願う。
 マリアナの夫を思う大きな愛。そしてイザベラの敵ともいえるアンジェロへの許し。
 兄は生きていたし、アンジェロも許された。

 最後に大団円かと思われたが、公爵が唐突にイザベラに半ば強引にふたりが結婚することを宣言する。
 確かイザベラはこれから神に仕える身だったはず。果たしてこれからどうなっていくのでしょうか。公爵との結婚ならあり?
 公爵がちまたの男に言われていたとおりの女たらしではないということはあるのでしょうか。
 アーメン!

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舞台「建築家とアッシリア皇帝」 [舞台]

「建築家とアッシリア皇帝」シアタートラム
   観劇日 ・ 11/22(火)

[ ストーリー ]
絶海の孤島に墜落した飛行機から現れた男は自らを皇帝(岡本健一)と名乗り、島に先住する一人の男を建築家(成河)と名付けて、近代文明の洗礼と教育を施そうとする。


[ 感 想 ]
 伸びやかに自由に、そして転換していく話。伝える能力の高さ。常識など打ち捨てて、飛翔していく魂。

 観ながら感じていたのは二人の役者は自在に境界線を突破するということだった。
作品全体が大人のごっこ遊び的なものなのだが、これって台詞? あまりにも自然に、あまりにもアドリブを越えたように発せられる会話。いったいなんなんだろう?
 今とリンクしている単語がポンポンと出てきて、あまりの時間差のなさに驚く。
古い原作を読んだときには退屈するかと思えたのだが、内容も一部変えられ、芸達者な役者の力量で客席を飽きさせない。
その分、二人の役者は忙しく動きまわる。

 自分はアッシリア皇帝だと主張する男の壮大な自慢話と、なぜかママごっこ。
一方、建築家と呼ばれている男は昼間に夜を呼んだり、山をどかしたり、動物に何かを持ってくるように命じたりと、不思議な存在だ。
父親も母親も人間ではないらしく、年は1500歳とか2000歳だとか言っている。本当かどうかは不明。
 建築家はカヌーを作って他の島へ行くと言って皇帝を置き去りにして行ってしまう。
しばらくして建築家は戻ってくるのだが、ここからはじまる裁判官と仮面を使った皇帝の現実の姿のあぶり出しが見事だ。

 ふたりにとっては男だろうが女だろうが、支配者と被支配者、神でさえもどうでもいいようだ。こだわりがなく、ごっこ遊びの役も瞬時に変わる。
 世の中のすべての境目を軽々と飛び越えて、愛し合い、理解し合っている。
なぜか、わたしは観劇しながら『魂』ということを思った。

 ラストの入れ替わりは果たして? 大元の役さえもごっこ遊びで、それが延々と続いていくのだろうか。
 そう考えてしまうと、この島は本当に存在しているのか? この話は本当なのか? なにもかもを煙に巻いて続いていくようだ。

                      ☆

 見終わって改めて美術の秀逸さを感じた。通常は舞台を隠すように張られる幕というのが、今回の公演では向こうが透ける紗のような素材に手書きで絵が描かれていて、中央には洞のある巨木があって上部が舞台の本物の木と繋がっていた。
 この作品自体がこのような薄い膜を隔てた現実なのか、男の妄想なのか、それともすべてが存在しない幻想なのか、観る者は惑わされてしまう。
それをこの幕でうまく表されていたように思う。
 幕が上がると盛り上がった土台。そこに見えないが何カ所か半地下が存在する。段ボール、何かが入っている黒いビニール袋がたくさん脇に置かれていて、段ボールの破片がそこら中に散乱している。
 二人の役者たちはこの平面と、そして上にも下にもある空間を立体的に動きまわる。演出はこの半地下の空間をうまく使いこなしていた。
 段ボールは椅子になったり、棒を差し込みそこに仮面を飾ったり、皇帝の衣装を着せてみたり、よく考えられた小道具だ。
 皇帝を食べるシーンではグロテスクさを極力排除した演出に細やかさを感じた。

 岡本は途中の一人芝居の長丁場を飽きさせず、安定した演技力を発揮する。
何役もこなしながら、とりとめのない一人遊びが続いていく。長い長い台詞。内容があるのかないのかわからない事柄が語られていく。修道女が出てきたり、宇宙人の話が始まったり、もうめちゃくちゃ。
 けれどそこから浮かび上がってくる皇帝の真の姿らしきもの。世の中の深層をのぞいているような気にもなった。
 建築家のいなくなった空虚と、母への愛と憎しみ、アッシリア皇帝という欺瞞、神への冒涜、そして内面に潜むもの。
 2幕、偉ぶっていた皇帝から裁かれる者へと変化していくのだが、仮面を付け替えての証言者としてくるくると変わる演技もいい。

 一方の成河は建築家の存在自体が何者なのかと疑念を生じさせる溌剌とした演技で、舞台上を動きまわる。少年のような妖精のような身軽さで、建築家はやはり人間ではない気がしてくる。
 ほがらかで、人を食ったような演技が客席をなごませてくれた。



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★「Le Fils 息子」 [舞台]

「Le Fils 息子」
☆公式 https://www.lefils-theatre.jp/

CAST
 ニコラ    岡本圭人
 アンヌ    若村麻由美
 ソフィア   伊勢佳世
 医師     浜田信也
 看護師    木山廉彬
 ピエール   岡本健一


 これは多重的に織られた作品だ。
 一般的な演劇とは異なり、現実世界と人の感情からなる世界、それぞれの抱え
る孤独な心の世界がこの作品には同時に存在する。
 目に見えない人の感情を観客に感じられるように現出させるのには驚きを隠せ
なかった。

 白い壁に窓がふたつある舞台装置。それがシーンによってスライドして、奥行
きのあるものになったり、様々に変化することができる。陰影がうつくしい。
 時折、登場人物のひとりが窓に佇み、シルエットとなる。その人は窓の向こう
に何を見ているのだろうか。

 父とソフィアとの家庭に来たとき、ニコラがそこにある棚を壊し、中のものを
ぶちまける。
 そして後日、ソフィアが会話しながらそれを直して、本を元通り入れて行く作
業を淡々としていく。
 これは現実に起きたことではなく、今起きていることを象徴的に現すために
あるのだろう。

 夫婦が別れて、子供が傷つき止んでいくというテーマは、珍しいことではない。
だが、この作品が希有なものとなり得たのは演出家の着眼点と、それを実現する
能力のある役者たちの勝利だろう。


★★★ネタバレ注意報!! 観劇予定の方は引き返してください。

 ピエールとアンヌが元夫婦で、その息子がニコラ。ニコラは両親の離婚から
情緒不安定になり、学校へも行かず退学になってしまう。
 現在、ピエールはソフィアと暮らしていて、ふたりのあいだには男の子が
産まれている。まだ赤ん坊で、ソフィアは慢性の睡眠不足だ。
 そんな父の新家庭でニコラが暮らすことになり・・・。
波風が立たない方が不思議というものだ。

 最初、ピエールはニコラにそれほどの愛情を持っているとは思えない。
だがニコラがいろいろと事を起こす度に本当の父親らしくなっていくように
思えた。
 ピエール、ソフィア、ニコラ、アンヌのあいだで交わされる会話。それ
ぞれが腹に抱えている感情。
 言葉として発せられないが、その感情を現出させる演技。張り詰める空気。

 それがそれぞれできていたのが凄いと思った。

「結婚はいいけど、子供は持たない方がいいわね。自由がなくなってしまう
もの」とソフィア。ピエールの息子であるニコラにそれを言うのか?
 別の機会にニコラはソフィアに、父親とどこで出会ったのかを尋ねる。

「そのときに、父に家庭があることを知らなかったの?」と。

 最初は父の喜ぶような嘘を言っていたニコラだったが、だんだんと本音を
爆発させて、自分たちの幸せを壊した父親に怒りを向ける。
 ピエールはソフィアに夢中になって、アンヌとニコラを捨てるように別れた
のかもしれない。
 大人の女性で、自立しているアンヌ。けれどピエールとの離婚に傷つき、脆
さが見え隠れする。今でも彼女はピエールのことを愛していて、次の相手すら
探そうとしない。
 ピエールはアンヌもさっさと再婚するだろうと侮っていたふしがある。

 前半、アンヌ。ニコラ、ソフィアの大変さはすべてピエールが引き起こした
もののように感じられた。
 それほどピエールという男は魅力的だが、人の気持ちに無頓着なところがあり、
ニコラの繊細さを理解せず、むしろ自分の望む逆方向へ引っ張ろうとする。
 それが後半に行くにつれ、ニコラのために夢を諦め、予定していた妻との旅行
を延期したりする。
 それにつれてソフィアの苛立ちは増大していくのだが。

 寄宿舎つきの学校に入れられるのを極端に恐れるニコラ。繊細な彼にはその
環境に耐えられないことを自分で知っている。だからリストカッターである彼
がいつもより深く切ってしまって精神科の病院へ入れられたとき、ニコラは
全身で拒否する。

 親であるというのは大変で、しかも繊細で傷ついてしまった息子というのは
厄介だ。ニコラの精神科での退院をめぐる医師と元ご夫婦の会話が辛い。
 ここから出してとせがむ息子にそうしようとすると、医師や看護師は退院する
のなら、病院としては責任はもてないと突き放す。
 選択を迫られても選べないピエールとアンヌ。どちらも選べないものを選べと
言われても困惑するしかない。
 ここから元ご夫婦には燃え尽きて灰になるような大変なことが何度も起こる。
 最後のどんでん返しはとても辛く、せつない。
 一発の銃声でこの世から消え去ったニコラ。ピエールの生きていたら、という
妄想が痛々しい。
 離婚前のような仲良しになった両親の笑い声のなかで去って行けたのが、せめ
てもの慰めだろうか。
 そこに救いはないのだが・・・。

*******************************************
 傷ついて、自らの意志のコントロールを失って、もがくしかないニコラを感性
豊かに演じた岡本圭人さん。初舞台とは思えない出来でした。

 変幻自在な演技の岡本健一さん。嫌悪していた父親に自分が似てきていること
を自覚するピエール。父から貰った猟銃を手放さずに隠していたピエール。

それと退院時の諸々。
 銃声の後、暫くその場から動けないその内面は、とても納得できました。

 強さと脆さをないまぜにしたアンヌを演じた若村麻由美さん。
ピエールへの想いと息子ニコラへの愛情とその葛藤が伝わってきて、やはり凄い
女優さんだと再確認しました。

 自分の家族だと思っていたのに前の家族の息子の面倒を見ることになって、

ひとつの家族を壊した代償のように次々と困難に襲われるソフィアの感情を伝え

てくれた伊勢佳世さん。
 どんでん返し後のピエールとはどうなっていくのか、はらはらしてしまいました。
でもソフィアは案外、忍耐強い女性なのかも。

 医師役の浜田信也さん、看護師役の木山廉彬さん、憎らしいほどに専門家でした。
病院側の正論を振りかざす隙のない演技。
 ピエールとアンヌはある意味、脅されていたのかも。


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★「森 フォレ」 世田谷パブリックシアター [舞台]

【作】ワジディ・ムワワド 【翻訳】藤井慎太郎
【演出】上村聡史

【美術】長田佳代子 【照明】沢田祐二 【音楽】国広和毅 【音響】加藤温
【衣裳】半田悦子【ヘアメイク】川端富生 【アクション】渥美博 
【演出助手】生田みゆき 【舞台監督】大垣敏朗

【出演】
成河 瀧本美織 /
栗田桃子 前田亜季 岡本玲 松岡依都美 / 亀田佳明 小柳友 大鷹明良

岡本健一 麻実れい

★公式サイト https://setagaya-pt.jp/performances/202107mori.html

・岡本健一さんによる出演者ひとりひとりのインタヴュー動画や写真なども
あります


☆感 想 (7/22観劇)

 作品はそれぞれの人生の壮大なタペストリーを紡ぎ出す。
すべてのシーンが宝石のように輝く。すべての出演者、それを支えた
この作品に関わった美術や衣装の方々まで、完璧な仕事をしたと感じられた。


 家系図の末端にいるルーと古生物学者のダグラスのふたりはルーのルーツを
探す旅に出る。
 はじめは母の両親、そのまた両親・・・。
 だがこの作品の描き方は独特で、いろいろな時代、国、場所などが舞台上に
混在し、複雑になっていく。そればかりかステージ上に異なる世代の人物たち
が姿を見せたりもする。

 印象的だったのはアルベールとオデットから続く近親相姦の流れだろうか。
正義漢の強い、そしてやさしいアルベールに嘘をついて、実のところ誰か知ら
ない男に陵辱されて身籠もったのではなく、アルベールの父と通じていてでき
た子供たちだったのだ。
 下界へと通じる道を水に沈めて、閉じられた森で子供たちと動物と暮らす夫婦。
この自分の王国で心優しかったアルベールは豹変して、身籠もっていた双子の
女の子エレーヌが年頃になると身体を重ねるようになる。自分の父の子、母の
違う妹だとも知らずに。
 苦悩するオデットと、双子の弟のエドガー。エレーヌは背徳の匂いを感じなが
らも無邪気で、父親への愛情を隠そうともしない。
 そして悲劇が起こる。
 それでも続いていく忌まわしい血筋。


 リュディヴィーヌとサラの究極の友情物語も印象的だった。
第二次世界対戦中、彼女たちはレジスタンス組織にいた。その中でサミュエルと
サラは結婚し、リュスが産まれる。が、組織に逮捕の手が伸びる。
 リュディヴィーヌとサラは娘をアメリカ人パイロットに託す。
 ふたりのいる家にも逮捕のときが近づく。そのときリュディヴィーヌはサラと
自分の身分証明書の写真を貼り替える。
 捕まれば強制収容所での死が待っている。だがリュディヴィーヌの名家ダーヴル
の名であれば、助かる可能性がある。両性具有で子供を持てないリュディヴィーヌ
より、サラには未来があると。
 こうしてリュディヴィーヌとサラは入れ替わった


 *********************************

 瀧本美織さんは常に怒りと寂しさを内に秘めたようなルーを見事に演じきった。
旅に出たルーが父親に随時メールを送るとき、文面の最後にハートマークをつける。
強がっていてもやはり父親を好きなんだと思えるエピソードでした。

 成河さんは別の舞台でも拝見したことがあるのですが、身軽にどんな役でも演じ
てしまう役者さんですね。
 古生物学者のダグラスと父親との関係、その約束が辛い。骨の修復に一生を捧げ
るって重すぎます。そしてそれを引き継ぐって気が遠くなります。

 栗田桃子さんはエメも大変な役だったと思いますが、オデットのおとなしげな
被害者に見える加害者役に騙されました。まさか桃子さんが演じていたとは。

 小柳友さん、エドガー役が印象的でした。割とまっすぐな直球タイプなのに、胸
の奥に屈折したものを抱えている感じが素敵でした。

 物語の最後の方で、若き日(亀田佳明)と年を重ねた(大鷹明良)姿の2人の
エドモンが同時に舞台の上に登場するのですが、はじめはどうなっているのか
なんの役の方々なのか、なぜ2人いるのかわかりませんでした。
 二重写しになった子どもキリンのエドモンの人生が語られるのですが、子供の
頃には幸せだったのかもしれないけれどあの事件後、とても可哀想なことになって
いったのが、ひしひしと迫ってきて辛かったです。

 岡本玲さんは養父で実は兄と愛しあうエレーヌを演じたのですが、「パパ」呼び
で無邪気な感じが余計に近親相姦の罪深さを浮き上がらせていました。
 その娘のレオニーも演じていたのですが、ちょっと野性的でたくましい女性に
思いました。同じ女優さんが演じていたなんて。

 松岡依都美さんはダーヴル家の呪われた血筋の最後となるリュディヴィーヌ役。
サラに自分の命を与えて、生きるように諭すシーンが素晴らしかったです。
 サラを演じた前田亜季さんとの緊迫した状況でのふたりのやりとりが胸に突き刺
さってきて、目の前で凄いものを観ているのだと感じました。

 3人の父親を演じた岡本健一さん。
 妻の病に苦悩しながらルーを育てたであろうバチスト、知らずに近親相姦へと
突き進んでいったアルペール、レジスタンス組織の中でサラと愛しあうサミュエル、
その娘がルーの祖母のリュスなのですが。
 それぞれの置かれた背景も違うし、時代も異なる父親たち。それを骨太な演技で
演じ分けていました。それでいて水のようにナチュラルな存在感でした。

 麻実れいさんはリュスを演じたのですが、孫のルーの訪問にも無愛想で、孤独を
滲ませていました。大人の女性なんだけど、どこか幼さを内在させている人物です。
 複雑な生い立ちで、養母から言われた「本物の母が迎えに来てくれる」とずっと
期待していた少女時代。叶わなかった苦い思いが痛々しかったです。
 その生い立ちの秘密を追って行くルーとダグラス。

 役者さんたちは複数の役を演じている方が多く、そのどれもが魅力的でした。
でもやはりアルベール・ケレールから流れる一族の物語は衝撃的で、演じるのが
難しかったのではないかと思いました。
 詩的な台詞も不自然ではなく溶け合っていて、それでいて時折はっとさせられ
ました。

 この物語は大木の年輪を思わせるような舞台で演じられ、この何代にもわたる
多くの人々の人生が描かれるにふさわしいと思いました。
 それにしても幸せな人は出てこないですね。

 ラストの大量の紅い花びらが舞うなかに登場人物たちが集うシーンは圧巻でした。
そして観客含め、すべての人生への応援の様に感じました。

 素晴らしい作品をありがとうございました!!


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★「リチャードⅡ世」 新国立中劇場 [舞台]

作:  ウィリアム・シェイクスピア
翻訳: 小田島雄志
演出: 鵜山 仁

キャスト:
岡本健一 浦井健治 中嶋朋子 立川三貴 横田栄司 勝部演之 
吉村 直 木下浩之 田代隆秀 一柳みる 大滝 寛 浅野雅博 
那須佐代子 小長谷勝彦 下総源太朗 原 嘉孝 櫻井章喜 石橋徹郎 清原達之 
鍛治直人 川辺邦弘 ⻲田佳明 松角洋平 内藤裕志 椎名一浩 宮崎隼人


鵜山組の安定した演技はコロナ渦でも健在だった。詩的でやたらと長いシェイクスピアの台詞も飽きさせずに聞かせる実力、以前よりも深さが増したように感じられた。
衣装の色で血縁関係や味方をわからせるのはたいへん有り難かった。

リチャードⅡ世王の栄枯盛衰を突きつけてくる物語はものがなしい。

リチャード王と王妃とは仲睦まじく、いかにたがいを大切にしているかが伝わってくる。とても可愛らしい王妃で、王冠を失ったリチャードに共にフランスに逃れて生きようと言う。だが王として育てられたリチャードは、その提案を呑むことはできない。

ボリングブルックは必ずしも王位を求めていないし、リチャードの死を望んではいなかった。だが状況とリチャードの弱気がそれでは済まさなかった。
臣下たちの裏切りは人徳もないリチャードより、勢いのあるボリングブルックにつくのは頷けるのだが、リチャードにしてみれば呑み込むことが難しいことだったのだろう。

自分から破滅に向かって行くように思えるリチャード。捕らわれの身になっても毒殺を警戒していながら、王の命令ではないがその側の者たちに殺されてしまう。

          ☆

人間の愚かさをつくづく感じた。この後の物語を観ている者としては、王冠を巡る殺戮につぐ殺戮を知っているだけに、うんざりとしてくる。
12年に渡って創り上げてきた作品の集大成にふさわしい、完成度の高い舞台だった。

エドマンド・オブ・ラングリー役の横田栄司さんがさすがの存在感を示していた。彼がいると舞台全体が映える、そんな力強い役者さんだ。

ヨーク公爵夫人の那須佐代子さんが謀反を企んでいた息子を庇うシーンが秀逸。その展開は想像できなかった。母は強し。唯一の笑えるところだった。

ボリングブルック役の浦井健治さん。ここまで成長したのだと感慨深かった。作品を重ねる度に実力を蓄えて急成長し続けたのがよくわかる。

王妃役の中嶋朋子さん、実に可愛らしく魅力的だった。それだけではなく、現在の向こう側、物語に語られていない部分までが感じられるような演技だった。

リチャードⅡ世役の岡本健一さん、台詞も演技も自在で、王である辛さ悲しさ、運命さえもが透けて見えた。そこから観る者に人の人生に思いを馳せさせる、そんな演技だった。


臣下にも裏切られ、王冠をもぎ取られ、憐れに墜ちていくリチャード。ついには殺されてしまう。
王冠を求めてやまない人間というもの。血を流しあい、その先にあるものは果たしてなんなのだろう。
そんなことを考えさせられた。

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★舞台「正しいオトナたち」 東京グローブ座 [舞台]

(ネタバレしてます)


 子供同士の喧嘩を発端として、話し合いを持つためにミッシェルとヴェロニック夫妻の家を訪れたアランとアネット夫妻。良識ある大人として感情を抑えて、感じよく冷静に子供たちのことを話し出す4人。
 が、弁護士であるアラン(岡本健一)が顧問である製薬会社からの電話を受け続け、携帯を離そうとしない。妻であるアネット(中嶋朋子)は子供が怪我を負わせてしまった相手のミッシェル(近藤芳正)とヴェロニック(真矢みき)夫妻に詫びながら遠慮しつつ、次第に夫に苛立っていく。。

 ミッシェルがおいしいラム酒を取り出した辺りからそれぞれの本音が出てきて、子供の喧嘩のこともあるのだが、夫婦関係の問題なども浮き彫りになり、だんだんと着乱れ、精神的にも崩れていく。まさにボロボロになりながら、険悪になったり、仲良く盛り上がったりと、もうなにがなんだかわからない混沌の状態になっていく。

 盛大に吐き散らかして、髪を解き、上着を片方の手に掛けたままの中嶋朋子が凄い。家庭を顧みない夫に代わり、自分も仕事を持ちながらすべてを受け持ってきた妻のたがが外れた。女のなかにどれほどのものが隠されていたのかと恐ろしくなる。
 また冒頭、顔の表情だけで演技していたのだが、客席にまできちんと伝わってきた。
 一方、夫であるアランは自分勝手な幼児性を垣間見せながら、携帯に齧りついている。
その場にほどよく参加しながら、携帯の会話へとスイッチしたり戻って来たり。その切り替えが自然で芸達者ぶりを感じさせた。
 終盤、アネットがその携帯を取り上げて、チューリップを生けていた水を満たした容器のなかへと投げ入れる見事さ。その後のアランの動揺、嘆き、虚脱。その変化が楽しい。

 誰にたいしてもいい人のミッシェルが、下の子のペットのハムスターを捨ててしまったことがわかって、その場の全員から責められる。必死に反論するも、理解されず。いい味が出ていた。
 全員が酒に酔って本音を吐き出して、ヴェロニックもぼろぼろになっていたのだが、下の子からハムスターを心配する電話がくると俄に母親らしく振る舞い、子供を傷つけないように嘘をつく。その雄弁さ、その存在感には圧倒された。
 そしてミッシェルが次に話したいと言っていたのに、自分の用が済むと決然と電話を切るヴェロニック。そこに強い意志が感じられた。

 上村聡史さんの演出ははちゃめちゃで面白い。ミッシェルの母親からも何度も電話がかかってくるのだが、こちらは受話器から音声が漏れてきて、その厄介さが伝わってくる。
 その母親の処方された薬というのが、アランの顧問をしている製薬会社の問題になりかけている薬で、ミッシェルは飲んだら駄目だと言い、アランはそのまま飲み続けて経過を知らせるように言い、もうなにがなんだかこんがらがっている。


 ともかく何度も堪えきれずに笑った。そしてときどき感慨を抱いた。
 4人4様、オトナの体当たりの演技が素晴らしかった。ココマデヤルカ?


公式サイト
https://www.tadashiiotonatachi.com/


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