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「La Mère 母」 東京芸術劇場 [舞台]

公式サイト
https://www.lefils-lamere.jp/

地方公演情報は
https://www.lefils-lamere.jp/tour

    ****
ネタバレ注意報

 引き返すなら今ですよ!



 子供たちが大人になって巣立っていくのは当たり前のこと。けれど残された母親は浮気しているかもしれない夫と暮らすことに淋しさを感じていた。昼間は大きな家にひとり取り残される侘しさ。
 そんなところから物語ははじまる。
 繰り返される同じ台詞。舞台上で何が起こっているのか不可解になる。黒い衣装の母アンヌは息子ニコラからの連絡が来ない、と待ち続けている。仕事で忙しい父ピエール。
 そして物語は進んだり戻ったりしながら少しずつ違う話をリフレインしはじめる。その手法によって、目の前のこの家族の話だったものがすべての人の物語へと拡大されていく。
 どこかの男、どこかの女、どこかの父親、どこかの母親、そしてどこかの娘やどこかの息子の話へと観客には感じられるようになる。そう、みずからの話としてだ。
 脚本なのか、演出なのかはわからないが、とても斬新な作品となった。
 赤いドレスを纏ったあたりからアンヌの本音が容赦のないものとなっていく。子供たちを育てて気がついたら若さを失っていたことへの思い、ニコラには妹サラがいるのだが、アンヌはニコラだけを溺愛し、妹のことはどうでもいいという認識。夫のことも死んでしまえばいいのに、と言い、ひどい態度を取り出す。
 果たしてニコラはエロディと喧嘩して実家へ帰ってきたのか? それは現実なのか、それともこれはすべてアンヌの創り出した妄想の世界の出来事なのか?
 アンヌはニコラをみずからの恋人のように扱い出す。取り合わないニコラ。
 ラストへと疾走していく狂気は病院での衝撃的なラストへと繋がっていく。もはや現実は狂気へと道を譲った感がある。果たして現実は何処までだったのか。簡単に拾い集められるだけの現実と圧倒的なアンヌの妄想と狂気で紡がれた物語なのか。
 他にはない独特な作品を体験したと思った。

        *
若村麻由美さん
 美しく魅力的なアンヌ。そんなシーンはないのに、若い日に子供たちを愛情いっぱいに
育てる姿が浮かんでくるようだった。そして今、子供たちが巣立った後の空虚感、彼女の生きていた世界が閉じられてしまったかのような焦燥感にあらがうように辛辣になっていくアンヌを演じてくれた。現実と狂気の世界を自在に行き来できる演技力は素晴らしい。

岡本健一さん
 ピエールは実際、浮気していたのか? 証拠は少ない。でもアンヌの中では確信なのだ。
とうとう隠すことなく彼はバカンスに行く格好で登場。若い愛人までが出現してしまう。

 そう、アンヌの妄想の世界では。

 現実はアンヌが赤いドレスに着替える前までの気がする。ということは?
 少しずつ違うシチュエーションのポールを巧みに演じていた。

伊勢佳世さん
 アンヌとの対峙がヒートアップしていく演じ分けがいい。ニコラの恋人として、家族ではない外の存在としてのエロディの演技が光る。愛する息子を奪い去る者としてのエロディ。そしておそらく、女としての定められた道筋を彼女も通るだろうと予感させる。

岡本圭人さん
 硬質で適格な演技。ニコラとしてのしっかりとした存在感。その時々に纏う空気感がいい。
 母が自分の人生を妨害することにたいして困惑し、行き着く先は・・・。アンヌが狂気のなかでそう望んだのか、ニコラが決意するしかなかったのか。
 ニコラは現実としてアンヌの前にいたのか? 終始、母の妄想の登場人物だったのか。そんなことを思う。


 演出の切っ先の鋭さ、独特さ。そしてそれを実現するために現実の世界から跳躍した役者たち。
 なんだか凄いものを観てしまった。でも観客もいつものように物語が進むと思っていると頭のなかが「?」だらけになるので注意が必要だ。観客も一緒にアンヌの内面の世界に飛び込む気概がいる。そんな特異な作品だった。


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「夜は昼の母」 シアター風姿花伝 [舞台]

「夜は昼の母」
シアター風姿花伝
出演 岡本健一 那須佐代子 堅山隼太 山崎一

 千秋楽も終わってしまいましたが、記憶のために書いておきます。


家族というもの、距離が近いが故に甘えも憎しみも共有する。そして反発も妥協も許しもする。
殺してしまいたいほどの欲求も、照明を暗転して変えることで、同じ舞台上に現出させてしまう。周りの人の動きを止めて、本人の素直な願望を描き出す。演出の妙!現実との切り替えが素晴らしかったです。

16歳の少年ダヴィット役の岡本さんは実際には54歳であることを忘れさせてくれた。仕草、言動、兄イェオリへの不満。現実に踏み出すことができない胸のもやもやを表現する。
兄弟らしいたがいへの批判。兄は家族で経営する寂れたホテルの手伝いを積極的に行い、弟は学校にも行かず、ホテルの手伝いもたまに皿洗いをする程度。

ダヴィットの懸念はまた父のアルコール中毒が再燃しそうなこと。妻に内緒で酒瓶を隠しながら飲んでいる。
前回は妄想までが出てきて、それにおとなしく付き合うダヴィットだったし、父が入院したのを見舞ったのは母と自分だった。
やはり軸となる家族の問題は父親のアルコール中毒で、その次がダヴィットの登校拒否と働かないこと。
兄イェオリのまともさが際立つ。その分、弟のふがいなさに苛立つのだろう。堅山さんの確かな人物造形。

2幕の最初でエーリン役の那須さんが夫のマッティン役の山崎さんを見つめるまなざしが凄かった。シニカルで冷えた視線は断ち切りたいのに断ち切れない葛藤すら越えたところにある感情を描き出していた。

父役の山崎さんは妻を愛していて、また必要としていて、別れると言う彼女を手放すことに抵抗を剥き出しにする。膝に甘えてみたり、でも隠していたアルコールを夢中で飲んだり、暴れたり、その様子をダヴィットが物影から見ている。
山崎さん、アル中の大暴れは圧巻。

男たちが心配しているのは母エーリンの咳と肩の痛み。または母が父と別れてこのホテルを出て行くこと。

母の注意を引こうとダヴィットはキッチンの壁のへこみに大の字に張り付いてみたり、アクロバティックなことをしながら母に「見て」と言うのだが、エーリンは心ここにあらずで視線を向けることすらしない。
岡本さんの手振りを交えた具体的で自在な演技力。少年らしさが光る。

「終わりよければすべてよし」 新国立劇場 [舞台]

新国立劇場公式
https://www.nntt.jac.go.jp/play/shakespeare-dark-comedy/


    【作】ウィリアム・シェイクスピア
    【翻訳】小田島雄志
    【演出】鵜山 仁
    【美術】乘峯雅寛
    【照明】服部 基
    【音響】上田好生
    【衣裳】前田文子
    【ヘアメイク】馮 啓孝
    【演出助手】中嶋彩乃
    【舞台監督】北条 孝



演出 鵜山仁

キャスト

    岡本健一
    浦井健治
    中嶋朋子
    ソニン

    立川三貴
    吉村 直
    木下浩之
    那須佐代子
    勝部演之

    小長谷勝彦
    下総源太朗
    藤木久美子
    川辺邦弘
    亀田佳明

    永田江里
    内藤裕志
    須藤瑞己
    福士永大
    宮津侑生



 バートラムは伯爵家の立派な若様だと見えていたのですが、段々とメッキが剥がれていき、処女のダイアナを口説くわ、王に嘘はつくわ、人を見る目もなく、散々な男であることが露呈してしまう。浦井さんがこんな役をやれるようになるなんて!
 なにしろヘレナが亡くなったと信じているラフューが自分の娘とバートラムを結婚させようとしていたのに、悪行が露見して行くにつれて態度が変化していき、ついには自分の娘にはふさわしくないと言い出す。笑わせていただきました。

 那須さんの伯爵夫人が秀逸だった。ヘレナを預かり育て、自分の娘とも呼ぶ。道化との下世話な会話もこなし、それでいて凜とした伯爵夫人の佇まい。

 ソニンさんの初初しい演技も素晴らしかった。母親のいうことをきく娘でありながら、それだけではない。きちんと王のまえで申し開きをする胆力もあるのだから。
 この物語では指輪が大事な役割を果たすのだが、その真実が暴かれていくところが面白かった。

 やはりヘレナ役の中嶋朋子さんが魅力的で、知恵もあり、人としても素晴らしい彼女を具現させていた。
 白い布を吊してある舞台装置と、その前にいるヘレナの白いドレスのドレープが美しくてため息が出そうだった。衣装さん、素敵でした。
 ラフューが辞退するほどの屑のバートラムを一途に思うヘレナの愛は大きく深く、でも観客からしたら、やめておいた方がいいのに、と思わずにはいられなかった。

 王役の岡本健一さんは瀕死の状態、回復してからの若々しさ、ヘレナの死を知ってから、そして自分がヘレナに与えた赤い石の指輪をバートラムが持っていたことで、彼がヘレナを殺害したのではないかとさえ疑う。その様々な状態の同一人物を安定した演技力で演じ分けていた。
 本当のことを言うと、王を演じている岡本健一さんは舞台上にはおらず、ただ王様がいて、お目当ての方がいないのをラストあたりで気づいて、「あれ、いない」と焦ったのでした。

 ラストで王は王冠をはずして、いち役者へと戻る。一瞬、わたしにはシェイクスピアの時代の役者さんたちがそこに並んでいるように見えました。


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「尺には尺を」新国立劇場 [舞台]




  • 【作】ウィリアム・シェイクスピア
  • 【翻訳】小田島雄志
  • 【演出】鵜山 仁
  • 【美術】乘峯雅寛
  • 【照明】服部 基
  • 【音響】上田好生
  • 【衣裳】前田文子
  • 【ヘアメイク】馮 啓孝
  • 【演出助手】中嶋彩乃
  • 【舞台監督】北条 孝


演出 鵜山仁

キャスト

  • 岡本健一
  • 浦井健治
  • 中嶋朋子
  • ソニン
  • 立川三貴
  • 吉村 直
  • 木下浩之
  • 那須佐代子
  • 勝部演之
  • 小長谷勝彦
  • 下総源太朗
  • 藤木久美子
  • 川辺邦弘
  • 亀田佳明
  • 永田江里
  • 内藤裕志
  • 須藤瑞己
  • 福士永大
  • 宮津侑生



 舞台には木の長椅子が二つと左右にはゴミが集められている場所がある。手前には水をたたえた池がふたつ見える。奥には赤黒く大きな平面の建物があり、窓と扉が開くようになっている。
 アンジェロという男があまりに真面目で法を遵守しようとするために、優秀ではあるが存在自体が孤立していることが浮き上がってきた。一瞬にして彼の仲間内での彼の立ち位置や人柄などが入ってきた。これは演技力なのだろうか。
 同じ裁く立場の人々や個性豊かな市井の人々は杓子定規に生活しているわけではなく、ある程度は清濁併せ飲んでいるようだが、アンジェロには許しがない。大目に見るということを知らないらしい。
 だがアンジェロがイザベラに魅了され、その操を奪おうとした後、ゴミの集まった場所で蹲る。厳格で四角四面の彼が正しい道から逸れて、汚れに墜ちた表現の演出は素晴らしい。
 なにせイザベラは修道女見習いであり、その清純さ、神聖さ、それでいて物怖じせずに自分の意見を言う女性なのだ。

 登場人物の女郎屋はじめ、すべての人々が個性的で、台詞もシェイクスピア独特の難しいもので、もはやすべての人が主役のような働きをされていると思った。

 ベッドトリックの直接的な場面は原作には描かれていないが、恐らくはアンジェロの家で神父に化けた公爵とイザベラ、マリアナが扉を通っていくとそこにベッドが置いてある。これもスマートな演出。
 公爵はイザベラの兄が死刑を免れたことを告げず、アンジェロがマリアナと一夜を共にしたことがばれた後、公爵は二人に結婚式を挙げるように促す。そして戻ってきたふたりにアンジェロの死刑を宣告する。
 助命を求めるマリアナ。一緒に嘆願して欲しいと頼まれたイザベラは迷うが一緒になってアンジェロの命を救って欲しいと公爵に願う。
 マリアナの夫を思う大きな愛。そしてイザベラの敵ともいえるアンジェロへの許し。
 兄は生きていたし、アンジェロも許された。

 最後に大団円かと思われたが、公爵が唐突にイザベラに半ば強引にふたりが結婚することを宣言する。
 確かイザベラはこれから神に仕える身だったはず。果たしてこれからどうなっていくのでしょうか。公爵との結婚ならあり?
 公爵がちまたの男に言われていたとおりの女たらしではないということはあるのでしょうか。
 アーメン!

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★平和なはずの日本の道路を戦車がしれっと走ってるなんて [ニュース]

★全てを終わらすのか?地震も注意[危険・警告]?最後の戦いが始まった?



 ※令和レビューさんのYouTubeです。毎日更新されているのでチェックしてみてはどうでしょう?





★令和デビューさんとドライヴ? [ニュース]

★4/29 昭和の日 何かが起こる!
https://www.youtube.com/watch?v=tCREHCeC2qg


 ※迫力がありますね。大人数で旅行に行けそうですね。


★4月29日 後編 今日の夜中?明日の朝までに アラート[チャペル]〓が鳴ったら妄想も当たり〓〓??てか?
https://www.youtube.com/watch?v=U85TX13ggME

 ※YouTubeで令和デビューさんを登録してみてはどうでしょう。

こっそりと日本では○○が行われているようです。それもそろそろ終わりかな?

 豆腐船もたくさん来ているようですし・・・。


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★★★進展20230417 [ニュース]

★日本アライアンスにエールを〓〓〓目覚めよ日本人?
https://www.youtube.com/watch?v=r_2VjD2AFfo


※そろそろですかね。準備はよろしいですか。



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★★★Addict of the trip minds渋谷ライブ [音楽]

04/13
Addict of the trip mindsのライブに行ってきた。
岡本健一の紡ぎだす世界は聴くものに陶酔を与えていく。曲の中に入ってしまえば虜になってしまうのだ。
 冒頭にドラマチックな始まりをする曲が多く、しかも曲と曲との間をうまく繋げているので流れが妨げられることがない。ただファンは拍手するタイミングを間違わないように気を付ける必要があるかもしれない。「旋律」の始まり方ってとても個性的!ぐるぐるまわっているような気になる。
 曲はことに新曲は独創的で、まるで演劇を見ているような、そんな錯覚に捕らわれてしまう。油断していると演奏も歌詞も予想外の展開を見せる。男闘呼組やlockonsocialclubの活動をしているせいか、ファンへの愛が半端なく流れてくる。そんな瞬間が何度かあった。
 「ぬくもり求めて」の冒頭がやけに優しく響いてきて、一瞬驚愕した。
 「幸せな日々」想像力を掻き立てるように静かに始まり、幻想的ともいえる中盤を過ぎ、いきなり豹変する。それにしても歌詞や唄い方が演劇的だ。
 それぞれの曲のイメージは実に多彩で、その存在感が半端ない。
 白いシャツのボタンを一つ外しただけで、なぜかこの人には生来の色っぽさが備わっているようで写真を見ているようだった。反則でしょ。
 とてもとても熱い演奏が続いてこちらは現実という夢の中でたゆとうだけ。揺れながら陶酔しながらいろんな場所に連れて行かれる。
 やはりアディクトは岡本健一の世界なのだと再確認させられた。なぜかこの人に任せておくと、演劇でも音楽でも芸術の高みへと昇華されていく。不思議な人だ。
 今回も、というかいつもだが、照明が凄かった。こんなにも細やかに、そして曲によって技術を総動員してくる。バンド全体の音もエネルギーに溢れていて、このメンバーが集まったことに感謝したい気分だった。
 そして音に酔ったまま渋谷の街をふらふらと歩くのは危険だと、家に帰り着くまでにいろいろあった日だった。反省!だけど無理!!このうえもなく幸せだったんですもの!!!


★1st.

1.この場所から
2.旋律
3.一人にしないで
4.ぬくもり求め
5.推察の最中で
6.特別な人
7.誰もが気づかない日の午後
8.今は亡き世の中
9.幸せな日々(シーケンス音→Dr)
10.何も知らない
11.偽り感じて
12.無題

※アンコール
13.あの娘は言う

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★フルフォードレポート [ニュース]

★フルフォードレポート【英語版】2023.1.23 ロックフェラー支配の終焉と水素の黄金時代の始まり
※ウクライナ問題がこじれてますね。その後はスイスですか?
世界が混乱し、真実と嘘が奇妙に混ざり合っています。
注意深く、騙されず、勘も使って生きていきましょう。

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舞台「建築家とアッシリア皇帝」 [舞台]

「建築家とアッシリア皇帝」シアタートラム
   観劇日 ・ 11/22(火)

[ ストーリー ]
絶海の孤島に墜落した飛行機から現れた男は自らを皇帝(岡本健一)と名乗り、島に先住する一人の男を建築家(成河)と名付けて、近代文明の洗礼と教育を施そうとする。


[ 感 想 ]
 伸びやかに自由に、そして転換していく話。伝える能力の高さ。常識など打ち捨てて、飛翔していく魂。

 観ながら感じていたのは二人の役者は自在に境界線を突破するということだった。
作品全体が大人のごっこ遊び的なものなのだが、これって台詞? あまりにも自然に、あまりにもアドリブを越えたように発せられる会話。いったいなんなんだろう?
 今とリンクしている単語がポンポンと出てきて、あまりの時間差のなさに驚く。
古い原作を読んだときには退屈するかと思えたのだが、内容も一部変えられ、芸達者な役者の力量で客席を飽きさせない。
その分、二人の役者は忙しく動きまわる。

 自分はアッシリア皇帝だと主張する男の壮大な自慢話と、なぜかママごっこ。
一方、建築家と呼ばれている男は昼間に夜を呼んだり、山をどかしたり、動物に何かを持ってくるように命じたりと、不思議な存在だ。
父親も母親も人間ではないらしく、年は1500歳とか2000歳だとか言っている。本当かどうかは不明。
 建築家はカヌーを作って他の島へ行くと言って皇帝を置き去りにして行ってしまう。
しばらくして建築家は戻ってくるのだが、ここからはじまる裁判官と仮面を使った皇帝の現実の姿のあぶり出しが見事だ。

 ふたりにとっては男だろうが女だろうが、支配者と被支配者、神でさえもどうでもいいようだ。こだわりがなく、ごっこ遊びの役も瞬時に変わる。
 世の中のすべての境目を軽々と飛び越えて、愛し合い、理解し合っている。
なぜか、わたしは観劇しながら『魂』ということを思った。

 ラストの入れ替わりは果たして? 大元の役さえもごっこ遊びで、それが延々と続いていくのだろうか。
 そう考えてしまうと、この島は本当に存在しているのか? この話は本当なのか? なにもかもを煙に巻いて続いていくようだ。

                      ☆

 見終わって改めて美術の秀逸さを感じた。通常は舞台を隠すように張られる幕というのが、今回の公演では向こうが透ける紗のような素材に手書きで絵が描かれていて、中央には洞のある巨木があって上部が舞台の本物の木と繋がっていた。
 この作品自体がこのような薄い膜を隔てた現実なのか、男の妄想なのか、それともすべてが存在しない幻想なのか、観る者は惑わされてしまう。
それをこの幕でうまく表されていたように思う。
 幕が上がると盛り上がった土台。そこに見えないが何カ所か半地下が存在する。段ボール、何かが入っている黒いビニール袋がたくさん脇に置かれていて、段ボールの破片がそこら中に散乱している。
 二人の役者たちはこの平面と、そして上にも下にもある空間を立体的に動きまわる。演出はこの半地下の空間をうまく使いこなしていた。
 段ボールは椅子になったり、棒を差し込みそこに仮面を飾ったり、皇帝の衣装を着せてみたり、よく考えられた小道具だ。
 皇帝を食べるシーンではグロテスクさを極力排除した演出に細やかさを感じた。

 岡本は途中の一人芝居の長丁場を飽きさせず、安定した演技力を発揮する。
何役もこなしながら、とりとめのない一人遊びが続いていく。長い長い台詞。内容があるのかないのかわからない事柄が語られていく。修道女が出てきたり、宇宙人の話が始まったり、もうめちゃくちゃ。
 けれどそこから浮かび上がってくる皇帝の真の姿らしきもの。世の中の深層をのぞいているような気にもなった。
 建築家のいなくなった空虚と、母への愛と憎しみ、アッシリア皇帝という欺瞞、神への冒涜、そして内面に潜むもの。
 2幕、偉ぶっていた皇帝から裁かれる者へと変化していくのだが、仮面を付け替えての証言者としてくるくると変わる演技もいい。

 一方の成河は建築家の存在自体が何者なのかと疑念を生じさせる溌剌とした演技で、舞台上を動きまわる。少年のような妖精のような身軽さで、建築家はやはり人間ではない気がしてくる。
 ほがらかで、人を食ったような演技が客席をなごませてくれた。



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